中心市街地活性化ってもう出来ないんじゃないの

衰退した中心市街地の活性化が叫ばれて久しい。
それに応える形で全国で活性化策が打たれているが、活性化策が功を奏して活気が戻った中心市街地を私は知らない。
イベントを行う、道路をカラー舗装化する、アーケードを外す、空き店舗を活用し何かする。学生の協力で何やらする等いろいろやっていることは知っているけどどれもこれもたとえば80年代或いは90年代前半の商店街の活気が戻ったなんて話は聞かない。
まぁそれは仕方ないと思う。だって人がいないところで商売したってものが売れるなんてことは無いんだから。
中心市街地が活性化しない理由の一つに「商店街の人達にやる気がない」という人がいる。
確かにやる気は無いのかもしれないけど、それ以前に商店街を歩いている人が居ないんだからやる気を出したところで果たして意味あるのかなと思う。
逆に、やる気が有ろうがあるまいが、人がたくさん通行している所は商店街として成り立っている。大して美味くも無いのに行列の出来る飲食店、品揃えが悪いのに客がいる雑貨屋。にぎわっている商店街では別に珍しくもない光景だ。
中心商店街と郊外の大型SCの違いは「人の流れがある所で商売をする」か「人の流れを作って商売をする」かだと思う。
徒歩やバス、鉄道を主たる移動手段としていた時代は地方では過去の話である。今は幹線道路沿いのお店に車で買い物に行く時代だ。今はと言っても20年も30年も前からそうなっているし、この流れはまだしばらくは続くだろう。
中心部に活気を取り戻したいのならとりあえず広い駐車場は必須だろう。なぜなら来るんは楽だから。バスや鉄道よりは絶対に楽である。地方で車を持たない生活をして、東京でバイクやカーシェアを使っている私が言うのだから間違いない。
鉄道は正確だから時間が読めると言ったって、鉄道が自分の時間に合わせて来てくれる訳じゃないし、階段の上り下りの面倒くささや、知らない人が隣に座ってくるストレスを考えれば鉄道を利用する意味が見いだせない。
バスはノンステップで前清算なら乗っても良いかもしれない。本数とスピードがネックだが。
公共交通が不要だとは微塵も思わないので、利便性を向上させる動きを怠らないでほしい。
中心部の小さなスーパーと、郊外の大きなスーパーがあったらどっちに行くだろう。普通は郊外の大きなスーパーに行くだろう。
中心部に大きなスーパーがあれば行くかもしれない。でも中心部の中心部に大きなスーパーがあったところで人の流れは中心部に向くだろうか。中心部の人が買い物して終わりかもしれない。
だが人の流れが無いのが今の中心部なのだから流れを作らない事にはどうにもならない。
なので、日用品を扱う店をやるより、生活必需品じゃないけど、あると生活が豊かになる物を扱う店をやったらどうだろう。
そうやって小さな流れを各店で作って、20年30年かけて中心部への人の流れを少しづつ取り戻していくのだ。
ざっくりと、そんな事を思った。