景観について考えた

いきなりだけど、マンションと言うのは、狭い土地を共有する公共心の現われだったり、眺望を謳い文句に景観を破壊するエゴの現われだったりする。
高さは、スカイラインを定めたりしてある程度の理解を求めることが出来る。
スカイラインを規制して、道路幅(或いは道路に面した庭)に余裕を持たせる事が出来れば、市民の心の拠り所になる景観(例えば岩手山とか)は確保できるんじゃないだろうか。これは、マンション側にとってもいいことだと思う。
広大な個人庭園が無くなっていくのが惜しい。多賀の庭園の半分がマンションになったのは残念だった。跡地に建ったマンションの名前が「大清水庭苑」になっているのは、悪い冗談だと思う。
庭園以外にも、昔の名建築とかは住人の高齢化などで、維持できなって取り壊しの憂き目に会う例が多いそうだ。
税金の減免とか、維持の為の募金とか、景観維持の褒賞とかいろいろ出来ることはありそうだ。
数々の優遇に対して、維持する側は年に1回くらい感謝祭として、建物(或いは庭園とか)内部を公開してくれると嬉しい。
歴史を判断基準にしなくても、見事な庭を作り上げた人には何か良い事をしてあげてもいいと思うのです。
ただ、想定もしていない空間ができたりするから街って面白いんだよなぁ。
味気ないコンクリートの豆腐のような建築物も、見方を変えると渋かったりするもんなぁ。そのコンクリートの塊どうしの隙間の道が街に深みを与えることもあるし、古い建物を保存しても、ただの抜け殻には愛着なんて湧かない事もある。
街は生き物なのだろう。街に餌を与えるのも、躾けるのも、俺らの役目なんだろう。だけど街に首輪を付けて、嫌がる方へ引っ張っていくのは勘弁願いたいのです。そして俺らも街の一部だ。