没落する都市(北海道の旅)

函館はおみやげ物屋さんが多い(北海道の旅)
十勝の首都(北海道の旅2)
この辺でまとめ(北海道の旅3)からのつづき。

帯広から東へ車を走らせる事3時間くらい。釧路新道とかいうちょっとした高速道路のように立派な道を通り釧路市街へ到達。
車で来たのは初めてだが、鉄道で来た時よりは印象がよい。
湿原なんだか荒地なんだか分からないところに延々と広がる宅地と道路。製紙会社が運営する施設。整った街区。
鉄道で来て、最初に中心部の衰退振りを見るよりはいい。
釧路ではなんだか知らないけど川にラッコが居た。mooを見学し、川沿いの駐車場に戻ろうとしたら人ごみが騒がしく、近づいてみたら居たのだ。
特に可愛いとかどうとかは思わなかったが、大量に貝を食べるらしいので何をムシャムシャ食べているのかが気になった。
帯広に「ふじもり」があるように釧路には「泉屋」がある。盛岡ではこういう店の存在を気にした事は無い。「橋本屋」とも「きのえね」とも違うし、チェーン店が跋扈するのが遅かった盛岡において独立系のフェミリーレストランが見当たらないのは何故なのだろう。
泉屋で食事を楽しんだ後はデパートが無くなった悲惨な中心地を通り、mooの中を見学しながら、出来た当初(まだ西武が参加していた頃)の話を聞く。
おみやげ物屋の上のフロアーに職安を入居させているところに、行政のなりふり構わなさを感じるけど、もともと商業を重点に置けない計画で着工されたので仕方ない。
それにしても釧路中心部の衰退は半端な物ではない。20万人弱の人口を抱えながらこうも本格的に衰退した街を私は知らない。群馬に住む知人が「高崎も大変だよ」なんて事を言っていたが私が以前行った時にはヨーカドーがあったしなんだかんだいっても県庁所在地格の都市なので死んではいなかった。
釧路より小さい弘前も、中心部を幹線道路で分断すると言う暴挙を実行していたが、それでも死んではいなかった。
富山の高岡は完全に死んでいると感じたが、あれは正月だったし、駅前から路面電車も出ていたし、もしかしたら生き生きとした風景が展開されているのかもしれない。
釧路にだって昔は釧路臨港鉄道とか雄別鉄道とか、旅客輸送を行っていた鉄道はあったし、産業構造の変化はあれどある時期まではまとまった市街地を形成する余地はあったはずである。
しかし、そんな都市は昔は結構あってどの都市も殆ど例外なく現在は衰退しているから釧路に限った事ではないのだけれど釧路の昔を話として聞いている私としてはこの衰退っぷりがどうにも納得いかない。
都市圏人口がどれくらいあったかは知らないけれど、昔は(都南村と合併する前の)盛岡くらいの人口を抱えていた都市だ。それがなんであんなにすっからかんになってしまったのだろう。
こういう時、大抵の人は、商売をやる人の資質ややる気に原因を求めるのだけどそれは必ずしも当てはまらないだろう。そういう考えは安易というものだ。
まぁ、ここに住んでいるわけではないので釧路がどんなに都市としても魅力を欠いていても一向に構わないが寂しい感じはした。
その後、春採へ移動し目当ての運炭列車を撮影。

ついでに丘の上の団地からコールマインの施設を撮った。
炭鉱を囲むように団地が広がっていて面白い風景だった。
釧路はいつも曇天で重苦しいイメージを持っていたけど丘の上の団地は爽やかだった。
丘を降りて、ほくれん丸を撮影し釧路を去ることにした。