酒田の旅2

最初の神社は観光パンフでは無視されている福徳稲荷神社。保食大神の石碑がある。ここでは狛犬に雪よけカバーがされている。

これは初めて見た。しかもどうやら専用のものらしく、目と耳の位置には穴が開いている。こんな可愛い物を無視するとか、酒田の観光課(?)はなにをしているのやら。また、この神社を出た最上川連合の敷地内に「整地記念」と記された石碑がある。

直方体の正面に「整地記念」他の3面は細かい字でびっしり何かが書かれているが、書き出しが「大日本は神の国である」で始まるので、多分、整地に関しては相当後半に書かれているのだろう。なのでこの石碑については謎のままとし移動。
ちょっと行っただけで八雲神社に到着。鳥居がコンクリート製である。クリーム色の鳥居が新鮮だ。

名前を記した石柱が脇に立っているが、「村社」の二文字を埋めてある。盛岡では「縣社」をはじめ放ったらかしだったと思う。律儀に消す理由も無いと思うが、どういう事だろう。この後観に行った神社の石柱も律儀に「縣社」や「郷社」の二文字を埋めてあった。
どうやら酒田は寺社見学に向いた都市のようだ。だからという事でもないが、次は名前が気になっていた正一位稲荷神社へ向かう。
大きく育った樹木に小さな三角の敷地。境内にはささやかな遊具と数多くの庚申塚がある。
模型のような神社だ。神社を背にすると天正寺が見える。盛岡にも漢字が違うが同じ名前の寺がある。それはバス停の名前にもなっているし、町名にもなっている。
とりあえず適当な方向へ歩いてみる。もう日和山とか関係ない。側面に入り口が無さそうなので、一番町を通りつつ町並みを眺めていると、偶然にも本間邸を発見。早速中へ。

七社の宮の案内はテレビショッピングのようだ。

本間邸を盛岡の人に説明するとしたら、
「見た目は立派な南昌荘。内部はちょと傾いでる」
と言ったところか。
見学に際しては、説明をしてくれる人がいたりもするのだが、敢てついていかなかくても聞き耳を立てていれば充分であろう。
私は特に建築の基本に関しての説明は不要かと思ったが、見学者の中には5〜60才前後にも関わらず釘隠しを知らない人もいたので、必要な人もいるのかもしれない。
他にも外側から建物を眺めて、
「あちこちに補修が入っているから価値が無い」
とか言っている老人もいたけど本間邸は補修が入っていない方で、むしろ早く補修しないと駄目なのではないかと思う程だ。
補修の形跡が無い建物ってのは、余程修理が上手いかそもそも元の建物ではないのだ。
全国にある模擬天守とかはそんな感じだろう。
先の老人は富山城の天守を観て本物と思うタイプかな。
次は道路を挟んで向かいにある商店へ。
お店にしては随分簡素な外観だが、看板の類はどこにあったのだろう。
ここは建物全体が一つの広間のような感じなのでじっくり時間をかけて見るほどの事は無い。
建物よりも展示品を見て欲しいのかもしれない。
本間家関連はこれくらいにして、お昼にしようと商店街へ向かう。
休日だからかお店は殆ど開いていない。

アーケードから「SHIP」とか言うキャラクターの旗がぶら下がっていたが、あれは酒田発のアイドルグループを二次元化したものらしいと後日判明。
酒田の商店街は余り活気を感じられない。きっと郊外のジャスコとかに流れてしまっているのだろう。
郊外に流れたのが先か、中心部が衰退したのが先か突き詰めたところで今は大して意味も無いが、全国的に共通している事は、一旦死んだら復活は無さそうかなという事。
人の流れを取り戻すには、商業以外の要素が必要だと思う。いや、商業も必要だけど散歩のルートに組み込んでもらえるような雰囲気が必要と言うこと。
衰退した商店街とは言え、意外な事に酒田にはデパートがある。
内部はギリギリでデパートの態を保っている感じだ。秋田の木内よりは断然デパートしている。
板橋にあるコモディイイダからお客さんを結構な数間引いて、階数を増やした感じと言えば分かりやすいだろうか。
因みにコモディイイダの前はちょっとした街路市だ。
それまでの旅の経験からなんとなく酒田市むつ市は似ているかもしれないと思った。それとも海辺の中堅都市はこんな感じなのかな。でも酒田と鶴岡の雰囲気は違うから一概に「これが海辺の町の雰囲気」とも言えず、なんとも日本は広いのぅ。