脳内で変換できない位の定着っぷり

雫石とか、イオン盛岡から盛岡駅方面へ行くバスに乗っていると、中屋敷の次の停留所の名前は「三ツ家」となっている。
これは昔の住所が三ツ家だからなんだろうが、すでに親しまれているからなのかバス停の名前は住所が無くなっても三ツ家のままだ。
変わらないと言うことが歴史を伝えるいい例である。
その雫石線は岩手県交通と言うバス会社が運行しているのだが、雫石に住んでいる祖母とバスの話になった時に、祖母はそのバス会社を「中央バス」と呼んでいた。
私は、一応バスヲタでもあるのでその辺の勘違いは訂正させるのだが、新会社になって30年は経つのに「中央バス」って呼ばれていたのもなんだかなぁと思う。
去年だかにテレビを見ていたら、IBCの江幡アナが中継先であるイベント会場から、場所の説明をする時に
国電紫波中央駅から」
と言っていた。
ある人の母は元・サティ(津志田)の事を未だにニチイと言っているそうだ。
北海道に住んでいた時に、ホーマックの事を、合併前の「石黒ホーマ」って言っている人を多々見た。
盛岡だと未だに「メイク」っていっている人がいるかも知れない。でも「メイク」は「メイクホーム」に限り現役だ。
私の頭の中では未だにあのバス停の名は「内丸」だ。