桜山境内地の問題について(桟橋店舗の歴史)

先日、某所で「史跡解除は可能」との書き込みを見つけ、そんな先例があったのか?と思い、続きを読むと案の定、亀が池の道路の話だったので、果たして本当に解除されたのか疑問に思い調べてみた。
結果、市販されている書籍程度では解除されたか否かは分からなかったが、あたった書籍3冊のうち2冊は「部分的に解除されたようだ」となっているので、まぁ解除されたのかもしれないなぁと思う事にした。まぁ、史跡指定の解除なんて商店街側は訴えていないようだし、私も、国民の財産である史跡を安易に解除するように要望を出すのはお勧めできないので、この話はこの程度に。
 さて今回、調べ物をするうちに例の東大通の桟橋(市道内丸大通三丁目線含む)を整備した市職員の話が出てきたのでここに、当時の話を抜粋する。

当時は、桜山神社境内の他に、亀が池の岩手公園側(武徳殿があった辺りの池端)にも引揚者の店舗があった。
そのうちの数店が違法に増築を繰り返していた。
その状況を見て市が代執行をする事になった。が、なんとかならないかと思い、実際に違法に増築をする人達に事情を説明に行った。すると、単に代執行をすると生活に支障が出るだろう事が分かった。
当時一体は外地からの引揚者が多く、池も往時の面影は無く悪臭やメタンガスが発生してまさに都心の恥部であった。
市では堀を戻すか、池を埋めて商店街にするか公聴会を開いたりした。結果、市道とする場所は埋め立て、店舗は桟橋を整備しそこに移設する事とした。
この計画について石川栄燿(市の顧問であり、元・東京都建設局長)の指導を仰ぎ立案した。
1、市道内丸大通り三丁目線(中の橋大通線?)は都市計画事業で整備
2、両池の土堤にある建物は境内を区画整理して収容
3、公園側の亀が池土堤の建物は桟橋に期間限定で収容
4、収容期間は5年
桟橋の橋脚は木造とする案もあったが、店舗が無くなったあとに遊歩道にする為、鉄筋コンクリート製とした。梁も同じ。
桁・床は木造。私有林のアカマツを切り出して使った。
桟橋完成後占有者の手により間口1〜1.5間、奥行き2〜5間の木造二階建ての仮店舗が30戸作られた。
それを見計らい、亀が池の岩手公園側にあるバラックが撤去され、公園として整備された。
この桟橋は大通りと河南地区を結ぶ為、予想以上に繁盛し、占有期間が守られず、居住者も現れた。
やむなく市は使用契約の更新を続けた。
が、国体開催が近づき、木造の仮店舗も美観上よろしくない感じ(老朽化など)になってきたので、撤去する事となった。
撤去に際して、移転先を探す事になり、黒石野の新築民間ビルなどを斡旋。それでも上手く行かなかった人には、青山の国有地の払い下げを受け、市が一家に店舗を構えた団地を造成し、そこに移ってもらった。
店舗としての使命が無くなった桟橋をいよいよ遊歩道として整備する事になった。
木造桁橋で高欄も和風のものにしようと計画を立てた。
工事が始まると文化庁から「工事を中止し現状に復旧せよ」との要請があり一時中断。
文化庁に出向き、説明の結果橋脚は既設の物を使い、上部は補強して使う事となった。
昭和46年に遊歩道完成。
道路部分のパーキングスペースは美観上残念だ。

と、言う事だそうな。
もしかしたら、この当時の悪臭を放つ池というイメージを持ってあの周辺の商店街を良く思わない人もいるのかもしれない。それにしても当時は戦争の傷跡が癒えない中であったとはいえ文化庁、柔軟だなぁ。いや、もしかしたら今でも柔軟なのかもしれないけど。