説明会に参加の巻き。

桜山商店街の行方を左右するであろう計画の説明会に行って参りました。
これまでに説明会に行った人の感想を、事前に見聞きしていたが、実際に行ってみて私は違う感想を受けた。
市の職員が立派なのだ。馬鹿にしている印象も受けない。むしろ最初の挨拶で
「おばんでございます」
なんて言う辺り、市の方針だとは思うが、敢えて不自然なほどの方言での挨拶。真面目である。
最初だけかと思ったが、次の新沼都市整備部長までもが
「おばんでございます」
完全に市の方針だと思うが、こうも真面目にやるもんなのね。うちの会社なんてねぇ(以下略)。
たまに、公務員が民間企業に研修に行く話しをニュースでやるけど、あれは結構恣意的なのかもなぁ。

今回、説明会が行われたのは、市役所本館の8階にあるホール。
初回は資料が20部しか用意されていなかったそうだが、今回は潤沢に用意されていたと思う。少なくとも、開会時間に間に合えば、資料を貰えなかったという事態にはなっていないと思う。
会場には開会10分くらい前に入ったが、すでに70〜80人は来ていたと思う。
正面に関係部署の部長から係長クラスまでが11人集まり奥に書記らしい人が2人くらいいた。
住民側にどんな人が来ているのかと思って見渡してみたが、まず目立つのは東大通と背中に書いている法被を来ている人達。
正面二列目に腰掛けているのは山田公一さん。市の歴史を研究している人である。自分でも言っていたが大矢市長の孫(?)である。
その前に座っているのは東大通商業振興会々長の颯田さん。
真ん中辺りに市議の伊勢さん。予備席みたいなところに「地域政党いわて」の吉田けい子さん。
あと、巴計画の寺井さんもいたな。
とりあえず、来そうな人は揃っていた感じだ。
あと、報道機関では、岩手朝日テレビと、いわてめんこいテレビが来ていた。めんこいは玉井アナが自分でカメラを回していた。ご苦労様です。
会は定刻どおりに始まり、新沼部長の「これはたたき台です」とか「3回とも同じ内容の説明会です」とか会自体の内容説明から始まり、その後いろんな資料の内容に従って進められた。大体これで30分か45分くらい。閉会予定時刻は20時半なので、説明会の時間の半分は質問に当てる感じなのだろう。
最初の説明はどこかの弁護士の方。内容は忘れた。ただ、まともな質問だった。まともだと書いたのは、まともじゃない質問や意見が他の人から多く出たからだ。
まず、冷静じゃない人が多い。まぁ場慣れしてないだろうし、こんな会合に出る事もない人ばかりだろうから仕方ないとも思うが、怒りをぶつけるだけの発言ははっきり言って時間の無駄である。それと質問者の7割くらいが、あまりにも不勉強である。2ちゃんなら「ググレカス」で終わりじゃないかな?という質問が多かった。
ぶっちゃけ、説明会の前に勉強会が必要なんじゃないか?
だれかは存じないが、まとまりのない、しかし切実な訴えをしている人がいて、その人の発言を
「質問じゃないならもっとまとめろよ!こっちも言いたい事あるんだからさぁ」
等と後ろから怒鳴りつけるのは論外である。
そんで怒鳴りつけた本人は何を言うかというと、やっぱり内容が無いのである。まぁとにかく市を攻撃したかったのだろう。人の発言にケチをつける割には、無視していい意見であった。アンケートの集計結果の数値が100パーセントを超える事を指して
「みなさん騙されない様に」
などと言われても、それは百分率を小学校で習っていれば当然誰もが持っている知識であり、こんな事を得意気にいうのだからレベルが知れるのである。

市議会議員の伊勢さんも発言されていた。
「計画の白紙撤回を」
というのはこの場で言うのではなく、市議会を通じて正式に行うべきであろう。
逆に、この場で市職員が独自に決めていいのであれば、それこそ問題だと思うのだが、どうなんだろう。
史跡の解除に関する質問というか独自の見解というかは面白かった。

最終的に質問・意見・不満は20件以上出た感じ。
書き留めていた範囲で抜粋するとこんな感じ

  • 7月に実施したアンケートの内容を公開しろ。
    • 添付資料の通りだ。
  • あんたら(説明担当の市・管理職を指して)の残業代は税金だろ。
    • 残業代なんて出ません。

残業代の質問は、文化地層研究会の人から出されたもの。通常時間にやれば「務め人は参加出来ないだろ!夜にやれ」と言われ、19時からやれば残業代云々である。公務員って可哀想だなぁと同情するのである。

  • 土地所有区分は戦前のままか
    • 戦前とは違う

具体的には山田さん(歴史研究家・ケーブルテレビで番組をやっています)から説明がなされた。まず、神社の土地は戦前は内務省の所有であった。その周りを囲む民有地は南部家のもの。さらに外側を囲む土地は公園として県が管理していたものを市が管理する事になり、所有しているもの。との事だった。山田さんと市の主査の説明を組み合わせるとこんな感じである。
更に、市の所有地には二種類あり、公園用地として取得している「行政財産」もうひとつは、その横に、大通り方面に広がる「普通財産」
公園にかかっていない普通財産の土地はまぁ、普通に開発できちゃうらしい。行政財産になっている所は、公園整備の為に取得しているので、用途が明確なのだ。
因みにこの辺り(神社境内)、戦前の景気対策というか観光振興策として、僅かではあるがお店があったらしい。それが戦後に花開いたと山田さんの弁。

  • 市長を出せ。
    • 今いません。
  • 勘定所風の建物とかを建てる時、市は遺構を破壊できるのか
    • 市も現在の店舗同様破壊しません。

これは現状店舗の整備改修の条件として遺構を破壊しない事という項目があるゆえに出た質問。
遺構は現在より4〜50cm下に眠っているそうなので、市が建てる建物も基礎杭をあまり打てないのかな?それとも遺構の隙間を狙って杭を打つのか?それとも遺構調査が終われば、遺構に杭を打つことも可能なのかな?

  • 土塁について
    • まともに作ったら2mくらい。これじゃ閉鎖的だからどんな感じがいいか考える。

閉鎖的になるのは城だから当然だろうし、雰囲気や歴史を思い起こさせる程度でいいなら、具体的に考証する必要もない気もするがどうなんだろう。

  • 御新丸は何で史跡じゃないの?
    • 史跡決定当時既に、市街化していた。史跡に指定された範囲は、縄張りが良く残っていた。具体的には分からない。

まぁ、行政同士で決める事だからなんとでもなった感じもするわな。この疑問は私も持っていたので質問者に感謝である。

  • 史跡から外せ。外せるか議論したか。
    • いろいろ検討したが外さない方向で。

予定では20時30分閉会予定だったが、とっくに時間は過ぎていた。
やっと21時過ぎに出たのがこの質問

  • 4種が取り壊されるなら3種にある桜山神社はもっと取り壊しの対象じゃないの?だいたいもとからあった神社じゃないじゃん!
    • 南部家を祀っているし多分ない方向。

続けて、商店街を壊すなら神社も壊せとの意見が出る。別に、神社が気に入らないとかそう言う事ではないと前置きがあったが、桜山神社門前の商店街でも、神社に対する気持ちは様々なのだなと感じた。

  • 何で神社は住居系の土地区分なの?
    • 今この場では分からないからあとで。

颯田さんから出た質問である。不動産屋さんらしい質問である。あとでと言う事だったので、回答は颯田さんにはもたらされたのだろう。私も興味ある。

結論
史跡解除は無理だろう。そして桜山神社は商店街より厳しい3種(管理区分)である。誰も質問しなかったのが不思議であるが、みんな商店街が史跡である事に捉われ過ぎていないだろうか。以前だれだったかに今日の質問者と同じように疑問をぶつけてみたのだ。
「史跡の指定解除したらいいのに」と
そしたら回答は考えてみれば至極当然であるのだが、当時の私には思いも寄らないものだった。それは
「そうなればなったでマンションが建つでしょうね」
と言うものであった。あの古臭い雰囲気に慣れすぎて、周辺が高層建築で占められているのを当時の私はすっかり忘れていた。確かに大手先やら本町はマンションだらけだし、桜山が自由に開発出来るとなればマンション化はあり得るな。と妙に納得したのだ。なので、多くの人が提案する、史跡指定の解除には私は反対なのだ。ではどうすればいいのか。
私が考えるに、回答はひとつだろう。それは公園(都市計画決定)範囲の解除だ。岩手公園は、全部が史跡ではない。芝の広場や旧図書館がある場所はただの公園である。逆に全部が公園でもない。桜山神社がそれに当たる。史跡と公園の範囲は完全にリンクしているわけではないのだ。その証拠に、公園敷地内で史跡である場所にあった武徳殿や、池っ端にあった「きんこんか」とかいう喫茶店は撤去されたが、桜山神社は撤去されていない。逆にに史跡でもないのに、かつて色々な建物があったテレビ岩手・東北銀行前の土地は現在は芝の広場である。
また、全国見渡しても、史跡の上に住んだり商売している人はいっぱいいるのだ。
ゆえに、私は史跡指定はそのままに、公園の指定を解除して欲しいのだ
公園の指定を解除すれば、公園みどり課の最終的な目標(50年100年後には公園にする)は意味をなさなくなる。また、公園予定地とみなすゆえに勘定所風の建物を建てるなどと妙に制限がかかった事をする必要も無い。もっと自由に、商店街の人や来街者も納得出来るようなコンセプトでも可能だ(現状は公園の施設を前提としなければならない)。
さらに史跡に指定されているので、マンションが建つ事もない。建物には制限がかかるが4種なので維持管理は許容されるから既存店舗の耐震化も可能だろう。
来街者にとってはあの味のある雰囲気が維持されると言うメリットもある。
という私なりの結論に至ったが、こういう説明会は参加するだけしてみるもんだなとも思った。市に思惑があるように、説明会の様子を伝える側にも思惑があったりするものなのだ。市との交渉事や、いろんな事で面倒くさい目にあった人は
いると思うが、先入観で確かめもせずに愚痴っていると思わぬところで恥をかくことになりかねないな。
あと、質問する側は、質問の仕方を考えたほうがいいだろう。
私は怒りっぽいので、まるで自分を見ているようだった。
と言う事で説明会の感想は以上。

桜山商店街の問題をお城を中心としたまちづくり計画(平成21年10月策定)議事録から考える

この手の事は既にこちらでやられておりました。

ノーブル佐々木のつぶやき:http://blog.noblebs.com/

白龍の裏にある美容院の人ですな。
そんで、今回のネタになる資料は以下のもの

お恥ずかしながら歴史文化課なんて部署があるとは、これを読むまで存じませんでした。
詳細は実際に読んでいただく事にして、面白いなぁと思った点を。

  • 都市整備部長と公園みどり課の意見は結構違う。

資料から引用して解説していこうと思ったんですが、読めば分かると思うのでやめにしました。
桜山参道地区に興味のある人は、それぞれのpdfにある関連議事を読めばいいと思います。
第二回ではけっこう前向きというか、現在商売している人が安心できるように、とにかく今後どうして行くかを決めようというか、現状を生かしながらもうちょっと景観に配慮した感じで整備していこうといった感じで締めくくられています。
この時は、都市整備部長が「中心市街地活性化基本計画も出来てるし、議論するにはいい時期かも」と、なんとなく前向きに捉えているのに対し、公園みどり課では「桜山神社の契約が切れる時期に合わせて,土地利用計画を具現化する必要がある。タイミングを逃すと,そのまま今の状態が続く可能性がある。」と、とにかくこのチャンスを逃したらずっとこのままだというある種の危機感を漂わせています。
第三回では、これが一層鮮明になり、桜山は「公園用地として予定している場所になる。だから,基本的には公園施設となるのであれば,公有地化する方向づけになるだろう。ただし,現実問題として,短期的に用地を取得することは,多分無理だろう。ただ,最後のゴールについては,一般の都市公園と同様,公有地化を目標とし,もし,公有地化の事業が,かなり長期に渡るのであれば,その間をどう利用していくというあたりが,この懇話会のいろいろな意見交換をしていくということにご理解いただければと思う。」とまぁ、最終的には公園にするし、その間のつなぎでどうするかって事を話し合うのがこの場。という態度になっています。
対して、都市整備部長は、住民の生活設計や、桜山地区が結構評価されている事を説明。とにかく何が何でも公園に、50年100年後には必ず公園にすると意気込んでいる公園みどり課と同じ市役所の内部で、しかも部署の上下で違う事が言われている状況なのです。
まぁ、公園の事だけ考えていればいい課と、周辺の事を全体的に考えなきゃいけない部では、思惑も違うわなといった感じですかな。
因みに勘定所について出てくるのは、歴史文化課が、発掘調査を言い出したときに、具体的に何すんの?と委員に質問され、「勘定所とか」って言った時くらいで、当時はまだ緑地か、駐車場か、現状に改装を加えるかで議論されてたのでした。旧図書館にお茶もちを出す店を設けるかどうかなんて議論があったくらいで、勘定所風建築に団体待合なんて話は無かったのでした。

桜山神社境内の商店街の問題と勘定所風建築の問題

昨日に引き続きです。

[街]盛岡・桜山の問題は何が問題か
http://d.hatena.ne.jp/maksim727/20101011/p1:趣味の吹き溜り

気になったところをまとめてみます。

  • 昭和の雰囲気を残すレトロな空間云々

なんか違和感あるんですよねぇ。C57がいつの間にか「貴婦人」って呼ばれるようになったくらいの違和感が。
つまらない見方をすれば、あの地区って全国の殆どの商店街と同じで、衰退しているところに居酒屋が入って、見かけ上衰退していないように見えているわけです。
今みたいに居酒屋街メインになったのは、割と最近の事で、それまでは床屋あり、服屋、制服の店あり、雑貨店あり、ペットショップに盛岡サイエンスありと色々な業種がありました。
それらの店舗はやがて後継者難や、集客難とかいろいろな理由で去っていき、跡を埋めるように居酒屋とかカフェとか若い人のお店が入ってきたわけです。
開店理由は色々あるでしょうが街の中心部で路面店であの小ささはなかなか無いです。

  • 東大通商業振興会の颯田淳会長のコメント

「地域の理解を得るのは難しい。市民に親しまれるレトロな空間を壊すだけだ」と憤慨。「説明会の開催などで既成事実化しないでほしい」と市をけん制した。:河北新報より引用

「公表前に説明もなく、たとえ一部でも商店街を撤去する計画なので驚いている。ずっと商売したいという地元の気持ちと相反する計画で同意できない」と反発しており、:読売新聞

昭和34年に市から公園整備へ協力を求められ、同意した。あれから50年もたっている。商店街の歴史は60年になる。生活のために商売をしてサービスを提供している。遠い将来と銘打って、ゆくゆくは撤去だ。同意しろといわれても会長としては同意できない」と憤った。:盛岡タイムス

「結果的に全部残らず、すべて移転になるのでは。昨年からの測量調査に協力したが、結果は壊されるために協力したことになる」:盛岡タイムス

颯田さんは確か不動産業の人だし、割と長くこの界隈と付き合いのある人だろうから、いづれはこの地区が無くなる事は分かっていると思うのです。
なので、河北新報他がどのような取材を行ったのか分かりませんが、ちょっと意外なコメントです。まぁ、商店街の会長としてのコメントなら意外ということも無く普通です。

  • 市議会議員・高橋司さんのコメント

議会での説明で「初めて聞いた話だ」と驚きを隠さなかった。:盛岡タイムス

もちろん勘定所とか綱御門の設置(あえて復元とは書かない)の事だと思います。7月の保存管理計画策定委員会では話題に上らなかった(盛岡タイムス)そうですから、もしかしたら市長の思い付きなのか?
とにかく、盛岡城跡に関して戦後歴代市長のなかでは谷藤市長が一番積極的。というか面倒くさい。

  • 市長とか公園みどり課長・今野孝一さんのコメント
  • 勘定所については間取り程度しか分からない。位置や規模もまだ分からない。土塁はどうするか具体的にはまだ決まっていない:盛岡タイムスより公園みどり課長のコメント
  • 移転してもらうとなれば相当なこと。市としてこういった方向、目標に向かって進みたいということ:盛岡タイムスより公園みどり課長のコメント
  • 5日の定例記者会見で「(来年度開館予定の)歴史文化施設も近くにでき、その観光客を受け入れる飲食店を展開することも考えられる。住民と意見交換し、進めていきたい」と語った。:盛岡タイムスより市長

岩手日報の方がちょっともうちょっと細かくコメントが載っていますが、引用というより転載になってしまうくらい短い記事なので、ここには載せません。ただ良いタイトルです。市長が史跡を尊重していないというのがタイトルだけで分かります。

盛岡市長「土産販売機能を」 桜山勘定所構想
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20101006_4岩手日報

ところで、市長の任期ってもう一年切ったんですね。

「まだ市の説明は聞いていないが、この場所にふさわしい建物。ただ、住民の気持ちもわかるので、折り合いがつくか見て判断したい」と静観の構え。:読売新聞

なんか読売がコメント盛りだくさんだなぁ。
宮司は説明も受けずにふさわしい建物だと判断してしまったようです。
参道上に綱御門が建つ事を知っているのでしょうか?
中央通側からだと、鳥居→綱御門→鳥居→左脇に勘定所→鳥居って配置になるんですが。。。一言で表せば滑稽です。
この滑稽さが許されるなら商店街がそのまま存続しても問題ないでしょうし、許されないなら鳥居撤去じゃない?
まぁ、このあたりは、気持ちが分からないでもないので、折り合いつければいいと思います。

  • アンケートについて

全然唐突な発表でもなく、むしろ2ヶ月も前に発表される事が分かっているものでした。

■ 商店街の改装認める 盛岡城跡管理計画、地区内4種に区分 2010年 7月16日 (金)
7日の策定委では桜山参道地区の地下遺構の調査を進めながら、区分や管理基準の詳細について詰める考え。市は市民2千人に実施した公園や桜山商店街の将来像などについて尋ねるアンケート調査も紹介。結果速報は9月にも判明する。
http://www.morioka-times.com/news/2010/1007/16/10071601.htm:盛岡タイムス

タイミングがまぁ、岩手公園改称問題の時に意見の詰まったメールを削除してしまった盛岡市らしく絶妙ですが、いつ公表しても波風たたずなんて事は無いでしょうな。

  • 一番気になること

アンケートについてで引用したタイムスの記事なのですが、内容のメインは史跡・岩手公園の管理区分を4種類に分けるという案についてなのです。
これは簡単に言うと、同じ史跡だけど場所によっては何か建てていいし、許可も市から貰えばいいよ。みたいなことが桜山神社の境内地に認められたというものです。
これは何気に凄い事言っていて、要は、
「4種の地域で何かする時に遺構や地形の改変を伴わなければ文化庁の許可は要らないよ。」
と。
どうりでね、資料の揃わない勘定所を建てるとか言い出したり、市長が堂々と史跡に土産物屋が必要とか言うわけですよ。
だいたい、桜山で商売を営む人にとって、この管理区分ってなんの意味があるのかね?配管はともかくとして内装、外装を一度も変えずに営業してきた店ってあるのか?いちいち文化庁に届け出してた?誰かが代行していたのかしら?基礎を変えての改築は出来ないくらいの認識だったと思うけどなぁ。
因みに、史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会の委員長・田中哲雄さんは文化財保護とか庭園に通じている人なので、この人を味方につけたら案外今後の方針が変わるんじゃないかと思ったのです。

盛岡・桜山の問題は何が問題か

いろいろと話題になっているようで。

盛岡城跡:桜山地区、市が再整備構想 商店街の「昭和のたたずまい」影響も /岩手:毎日新聞
http://mainichi.jp/area/iwate/news/20101007ddlk03040007000c.html

市が勘定所の復元構想 昭和風情醸す盛岡・桜山地区:岩手日報(10/3)
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20101003_6
盛岡市長「土産販売機能を」 桜山勘定所構想:岩手日報(10/6)
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20101006_4
勘定所構想を後押し? 盛岡市が市民アンケート公表:岩手日報(10/9)
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20101009_12

南部藩勘定所の復元構想:読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/iwate/news/20101006-OYT8T00093.htm

レトロ飲食店街が消滅? 盛岡・桜山地区の史跡保存計画:河北新報
http://www.kahoku.co.jp/news/2010/09/20100930t35014.htm

桜山地区に勘定所や土塁後復元構想 地元仰天「商店街壊す気か」:盛岡タイムス
http://www.morioka-times.com/news/2010/1010/02/10100201.htm

  • 土塁を復元して勘定所を建てる

ってのと

  • そこにある商店群は撤去

ってのが問題なわけね。
商店群の撤去は、この地区の産まれ持っての宿命なので、散々放置しておいて今更感はあるけれども、これは期限と移転先とお金の問題に収束していくだろうなと思うのです。地域に興味の無い人には突然湧いた問題のように感じても、史跡の範囲にあった建物は段階的に撤去されているのは確実なのです。
実際のところこの界隈の商店主も形態により様々で、元から住んでいる人、住んでいないけど長く商売をしている人、住んでいるだけの人、最近商売を始めた人等、一致団結して再開発反対とはならない感じなのです。
現在の状況ですら喜んでいない人もいます。
「若い人が多くなって雰囲気が悪くなった」
という人もいます。まぁ確かに全国の商店街が置かれた現状とは違って珍しく新規出店が相次いでいるこの地区ですが、居酒屋と喫茶店ばかり増えてもねぇ。
あと、ちょっと勘違いしている人が、twitterとかblogで散見されるのですが、あそこは焼け跡を朝鮮人が占拠して作った場所でもなければ、桜山神社門前町として作られたわけでもありません。
商店群の事での問題はこれくらいにして

  • 土塁を復元して勘定所を建てる

これは疑問が一杯です。
まず、
「復元できるほど資料は揃っているのか」
三重櫓(一般に天守とか城って言われている部分)の資料が揃わないのに勘定所の資料は揃っているのかね。
史跡に胡散臭い建物を作るのは文化庁が良しとしないのでは?
で、もしかしたら本当に胡散臭い建物なんじゃないかと思わせるのは、読売・毎日・タイムスの記事にある
「勘定所」のような建物:毎日新聞
江戸時代に建っていた「勘定所」風建築物:読売新聞
公園みどり課長は「勘定所については間取り程度しか分からない。位置や規模もまだ分からない。土塁はどうするか具体的にはまだ決まっていない」と説明。:盛岡タイムス
という文言。
本当にやめて欲しいわ。こういうの。盛岡城の見所をそんな胡散臭いハリボテで台無しにしないで欲しい。そんなもの建てた瞬間に、五稜郭奉行所(復元だけど資料を基にした再現性の高いもの)とか、弘前城天守(日本に数基しかない貴重な現存天守)とか、千秋公園の偽天守とか、あのあたりの建築物と勝負する事になるんだぜ。
しかも中身は団体待合所と、土産物屋って盛岡市長は大丈夫なのか?やりかたが30〜40年前の手法だわ。
せっかく、見栄っ張りの殿様の時代が終わって、国民国家になったのだから今更江戸時代に都合のいいノスタルジックなものを感じなくてもいいんじゃないのかな。

最後に、以前県立博物館へ行ったときに城の模型を撮っていたので、その写真を貼っておきます。

黄色い線で囲ってあるのが勘定所と呼ばれる部分。
90年代以前に作成された模型らしく、天守や御殿の屋根はグレーの瓦。

勘定所のアップ。これ復元しても敢えて見に来るかなぁ?まぁ、団体の為の施設らしいし、あくまでそれっぽい建物との事ですけどね。

館腰駅からの空港バスが運行終了してた。

宮城交通HOME>バスTOP>高速バス>仙台空港連絡バス
館腰駅仙台空港線
平成22年3月31日(水)の運行をもって終了いたしました。
http://www.miyakou.co.jp/bus/intercity/air/tatekoshi.html

すまん。なかなか飛行機に乗る機会が無くて利用できなかった。
最後に仙台空港を利用したのは今年の5月だから、その頃はもう終わってたんだな。
もっと私が利用していれば存続できた。って事も無いだろうからあれだけど、残念です。

県北バスが導入する東急バスの中古に期待している点

先日、南営業所で見た、県北バスに導入される東急バスの中古ノンステップだが、後ろの座席がタイヤハウスを頂点に離反する形になっている。なので、最後部の座席とタイヤハウス上の座席が向かい合うようになってボックス席を形成している。
できればこのまま導入してくれればいいなぁと思っています。