桜山神社境内の商店街の問題と勘定所風建築の問題

昨日に引き続きです。

[街]盛岡・桜山の問題は何が問題か
http://d.hatena.ne.jp/maksim727/20101011/p1:趣味の吹き溜り

気になったところをまとめてみます。

  • 昭和の雰囲気を残すレトロな空間云々

なんか違和感あるんですよねぇ。C57がいつの間にか「貴婦人」って呼ばれるようになったくらいの違和感が。
つまらない見方をすれば、あの地区って全国の殆どの商店街と同じで、衰退しているところに居酒屋が入って、見かけ上衰退していないように見えているわけです。
今みたいに居酒屋街メインになったのは、割と最近の事で、それまでは床屋あり、服屋、制服の店あり、雑貨店あり、ペットショップに盛岡サイエンスありと色々な業種がありました。
それらの店舗はやがて後継者難や、集客難とかいろいろな理由で去っていき、跡を埋めるように居酒屋とかカフェとか若い人のお店が入ってきたわけです。
開店理由は色々あるでしょうが街の中心部で路面店であの小ささはなかなか無いです。

  • 東大通商業振興会の颯田淳会長のコメント

「地域の理解を得るのは難しい。市民に親しまれるレトロな空間を壊すだけだ」と憤慨。「説明会の開催などで既成事実化しないでほしい」と市をけん制した。:河北新報より引用

「公表前に説明もなく、たとえ一部でも商店街を撤去する計画なので驚いている。ずっと商売したいという地元の気持ちと相反する計画で同意できない」と反発しており、:読売新聞

昭和34年に市から公園整備へ協力を求められ、同意した。あれから50年もたっている。商店街の歴史は60年になる。生活のために商売をしてサービスを提供している。遠い将来と銘打って、ゆくゆくは撤去だ。同意しろといわれても会長としては同意できない」と憤った。:盛岡タイムス

「結果的に全部残らず、すべて移転になるのでは。昨年からの測量調査に協力したが、結果は壊されるために協力したことになる」:盛岡タイムス

颯田さんは確か不動産業の人だし、割と長くこの界隈と付き合いのある人だろうから、いづれはこの地区が無くなる事は分かっていると思うのです。
なので、河北新報他がどのような取材を行ったのか分かりませんが、ちょっと意外なコメントです。まぁ、商店街の会長としてのコメントなら意外ということも無く普通です。

  • 市議会議員・高橋司さんのコメント

議会での説明で「初めて聞いた話だ」と驚きを隠さなかった。:盛岡タイムス

もちろん勘定所とか綱御門の設置(あえて復元とは書かない)の事だと思います。7月の保存管理計画策定委員会では話題に上らなかった(盛岡タイムス)そうですから、もしかしたら市長の思い付きなのか?
とにかく、盛岡城跡に関して戦後歴代市長のなかでは谷藤市長が一番積極的。というか面倒くさい。

  • 市長とか公園みどり課長・今野孝一さんのコメント
  • 勘定所については間取り程度しか分からない。位置や規模もまだ分からない。土塁はどうするか具体的にはまだ決まっていない:盛岡タイムスより公園みどり課長のコメント
  • 移転してもらうとなれば相当なこと。市としてこういった方向、目標に向かって進みたいということ:盛岡タイムスより公園みどり課長のコメント
  • 5日の定例記者会見で「(来年度開館予定の)歴史文化施設も近くにでき、その観光客を受け入れる飲食店を展開することも考えられる。住民と意見交換し、進めていきたい」と語った。:盛岡タイムスより市長

岩手日報の方がちょっともうちょっと細かくコメントが載っていますが、引用というより転載になってしまうくらい短い記事なので、ここには載せません。ただ良いタイトルです。市長が史跡を尊重していないというのがタイトルだけで分かります。

盛岡市長「土産販売機能を」 桜山勘定所構想
http://www.iwate-np.co.jp/cgi-bin/topnews.cgi?20101006_4岩手日報

ところで、市長の任期ってもう一年切ったんですね。

「まだ市の説明は聞いていないが、この場所にふさわしい建物。ただ、住民の気持ちもわかるので、折り合いがつくか見て判断したい」と静観の構え。:読売新聞

なんか読売がコメント盛りだくさんだなぁ。
宮司は説明も受けずにふさわしい建物だと判断してしまったようです。
参道上に綱御門が建つ事を知っているのでしょうか?
中央通側からだと、鳥居→綱御門→鳥居→左脇に勘定所→鳥居って配置になるんですが。。。一言で表せば滑稽です。
この滑稽さが許されるなら商店街がそのまま存続しても問題ないでしょうし、許されないなら鳥居撤去じゃない?
まぁ、このあたりは、気持ちが分からないでもないので、折り合いつければいいと思います。

  • アンケートについて

全然唐突な発表でもなく、むしろ2ヶ月も前に発表される事が分かっているものでした。

■ 商店街の改装認める 盛岡城跡管理計画、地区内4種に区分 2010年 7月16日 (金)
7日の策定委では桜山参道地区の地下遺構の調査を進めながら、区分や管理基準の詳細について詰める考え。市は市民2千人に実施した公園や桜山商店街の将来像などについて尋ねるアンケート調査も紹介。結果速報は9月にも判明する。
http://www.morioka-times.com/news/2010/1007/16/10071601.htm:盛岡タイムス

タイミングがまぁ、岩手公園改称問題の時に意見の詰まったメールを削除してしまった盛岡市らしく絶妙ですが、いつ公表しても波風たたずなんて事は無いでしょうな。

  • 一番気になること

アンケートについてで引用したタイムスの記事なのですが、内容のメインは史跡・岩手公園の管理区分を4種類に分けるという案についてなのです。
これは簡単に言うと、同じ史跡だけど場所によっては何か建てていいし、許可も市から貰えばいいよ。みたいなことが桜山神社の境内地に認められたというものです。
これは何気に凄い事言っていて、要は、
「4種の地域で何かする時に遺構や地形の改変を伴わなければ文化庁の許可は要らないよ。」
と。
どうりでね、資料の揃わない勘定所を建てるとか言い出したり、市長が堂々と史跡に土産物屋が必要とか言うわけですよ。
だいたい、桜山で商売を営む人にとって、この管理区分ってなんの意味があるのかね?配管はともかくとして内装、外装を一度も変えずに営業してきた店ってあるのか?いちいち文化庁に届け出してた?誰かが代行していたのかしら?基礎を変えての改築は出来ないくらいの認識だったと思うけどなぁ。
因みに、史跡盛岡城跡保存管理計画策定委員会の委員長・田中哲雄さんは文化財保護とか庭園に通じている人なので、この人を味方につけたら案外今後の方針が変わるんじゃないかと思ったのです。