一括りにされて話が通じなくなる

例えば、芋田に住んでいる人と、永井にすんでいる人と、北山に住んでいる人が概ね中学生だった頃の時代の地元の話しをするとする。
或いは範囲を縮めて、夕顔瀬町と中堤町と、舘坂の人が同じ話題で話しをするとする。この中で五百羅漢とか、十六羅漢を見たことある人は多分、北山の人くらいだと思う。
諸葛川に絡んで、前九年の役の話を想像できるのは中堤町の人くらいか。
なんでそんな話が思い浮かんだかと言うと、以前、市内をある人達と歩いたに、観光名所になっている有名な場所へ行った時に、中の一人から
「盛岡に住んでるのに見た事ないんですね」
なんて言われた事があって、盛岡と言う括りが広すぎる故に変な認識が生まれてるのではないかと思ったのだ。
因みに、小学校低学年の頃の遠足では、目的地が隣の小学校だった。私が小学生の頃は動物公園がまだ無くって、動物を見せる為には隣の小学校の家畜小屋みたいな所が一番との判断だったのだろう。なんか凄い話だと思う。
この話は勿論、その学校の卒業生でもない限り通じないだろうけど、共通認識として、
盛岡市民なら五百羅漢くらいは見た事あるだろう」
というのは迷惑な認識だと思う。
河南だ河北だのと出身地域を言われても銭掛けから来た人には何の意味も無い。
3っつの川が合流する所よりも諸葛川と雫石川の合流点の方に興味があるとか、木賊川の増水って言われても
その川が何処を流れているのか知らないとか、諸葛川を越えると滝沢感が増す土淵地区に対して、滝沢感が無い滝沢ニュータウンとか。
玉山を合併したお陰で益々山林が増えて、人がいる地区は南北に長くなったのに中心部活性化の話題は大通り菜園地区の事ばかりだったり。
玉山区だけでなくて、それ以前に合併した全ての町村を対象に、区を作ったら良いと思った。
中野区とか乙部区とか厨川区とか。
合併する前には、
「地域の歴史が無くなる」
なんていっている人が何人もいたけど、それ以前に「今」が無くなっている様な気がするのであった