都市計画道路新道大坊線を歩く

先頃、盛岡市が道路計画の見直しを理由にパブリックコメントを募集した。
鉈屋町を含めた河南地区の計画が大幅に削られ、他の箇所も4車線が2車線に縮小されるなど拡大・開発一辺倒だった時代には考えられない案が提示された。
景観を理由に全く道路計画を破棄することになる河南地区の方策はどうかと思うが、一方で旧・厨川村方面は全く変更が無い感じだ。
そこでこの地区の道路計画の進捗具合を確認するのも兼ねて予定地を歩いてみた。
まずは、中心部から天昌寺経由滝沢行きのバスに乗り天昌寺前で下車。雫石方面に歩みを進めると信号のある交差点に出くわす。

ここからスタートだ。本来はもっと舘坂寄りの千趣会倉庫付近から新道篠木線という道路が始まり、大館町と大新町の境目辺りから新道大坊線が分岐するのだが、大館町遺跡が発見された関係でルートが変更されカネ正不動産交差点から開始する事に変更になったのだ。
元々道路があるところに上書きで計画されている訳だが、実行されれば、両端3m位は拡幅されるのではなかろうか。幸いにも道路に密着している建物は少ないのでこれといった問題も起きなさそう。

反対側を眺めると、中屋敷方面へ直進する道路の狭さが異様に感じる。

これでも天昌寺地区には無くてはならない道路である。
新道大坊線はマルイチ天昌寺店付近で進路を左に変える。


北天昌寺公民館手前で右に折れると予想されるが詳細は分からない。因みに、地域の住民にとっては北天昌寺公民館より西厨川老人福祉センターの方が使い勝手がらしい。とんんでもなくギリギリ感漂う建物である。

右に折れた新道大坊線はドブ川を暗渠化して誕生したコミュニティ道路と交差し、


大新町児童公園を掠めて大新小学校へ向かう。
のだが、大新町児童公園付近はさっぱり用地買収が行われていない様子。道の形跡と言えば獣道位だし、

前後は家で囲まれている。


新道篠木線方向は開けた印象だが、これは遺跡の所為。

ひたすら狭い道を通り大新小学校へ。
学校東側には大きな花壇と意味不明な空き地が続くが、これこそが新道大坊線の予定地である。


その証拠に花壇としては全く不自然な隅切りがなされている。

反対側は畑であり当初から土地の利用に制限があったと思われる。

小学校に沿い北へ歩くと丁字路交差点にぶつかるのだが、新道大坊線はここを十字路にして越える計画だ。昔は間隔一定の空き地が続いていたが、現在では家が建っている。
迂回して集合住宅が並ぶ地域へ向かう。すると、将来道路にする予定の空き地が元・津志田医院付近交差点まで続いていた。



計画上は元・津志田医院交差点からずっと続くのだが、以降は既存道路が続いているので最低限工事が必要な地区はここまでだと思われる。
歩いてみて思ったのだが、この道路は10年前でも20年前でもやろうと思えばすんなり開通したのではなかろうか。もっと前の大新小学校(建設当時の名称は厨川第二小学校)開校時点でも出来たと思う。
中心部と違い、人口密度が薄かった事も手伝ってここまで事態が悪化するまで放置されてたんだろう。
あるいは、地区主導で区画整理事業を行う地区を優先した結果今があるのだろうか。